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本<伊藤憲夫[美術ジャーナリスト]>

キュレーション

キュレーション
「現代アート」をつくったキュレーターたち
ハンス・ウルリッヒ・オブリスト(著)村上華子(翻訳)

コンテンポラリーアートとキュレーターの時代

 「キュレーターというのはフレキシブルでなければなりません。ときに召使であり、ときにアシスタントであり、アーティストがどう作品を見せるかのアイデアを出すこともあります。グループ展ではコーディネーターであり、テーマ展では発明家になります。しかしキュレーションで一番大事なのは、情熱と愛、そしてある程度のオブセッションでしょう」(ハラルド・ゼーマン)。

 キュレーターは日本では学芸員と訳されることが多いが、美術館・博物館などのコレクションの形成と管理/調査研究/教育普及という業務全般を担当する学芸員に対して、専門性が高く、展覧会を実施する組織者(オーガナイザー)をとくにキュレーターと呼ぶことが多い。中央集権色が強いフランスでは同様の役職をコンセルバトールと称している。キュレーターには、展覧会を企画立案し組織化していく能力だけでなく、展覧会全体を成功させるための総合力が求められ、近年は資金調達力やマネジメント力も重要視される。キュレーターの仕事は、アートシーンの拡大とともに大きく変わってきている。

 20世紀も終わり近くなって、大規模な国際現代美術展が世界各地で開催されるようになった。60以上の国・地域から200名以上のアーティストを招聘するものもあり、1895年に始まる「ヴェネツィア・ビエンナーレ」やドイツ・カッセルで5年に1度開催される「ドクメンタ」(1955年〜)など従来型の国際展をモデルに、アジアにおいては、台北、上海、釜山、光州、シンガポール、イスタンブール、横浜などが新たに加わった。国際展は隔年(ビエンナーレ)や3年に1度(トリエンナーレ)など定期的に開催される。ビエンナーレやトリエンナーレという呼称は、最も歴史が古いヴェネツィア・ビエンナーレに由来し、イタリア語表記が慣習化したもの。毎年、世界のどこかで国際展が開催されている、という現象が出現したのである。

 雨後の筍のような、1990年頃からはじまる国際展の林立状態は、それまでの欧米中心の情報発信から世界全体に中心が遍在化する傾向へと拍車をかけた。そして、いくつもの国際展をわたり歩くスター・アーティストや、世界中を駆けまわるフリーランスのキュレーターがクローズアップされるようになった。ひとりのキュレーターが大きな権限を委譲され展覧会全体をコーディネートする。統一テーマの設定、アーティストの選考、展覧会以外のイヴェント・プログラムなども含めてキュレーターに一任する場合が多くなった。

 そのような国際現代美術展の変容を先取りしたキュレーターがハラルド・ゼーマン(1933〜2005年)である。彼は、当時のコンテンポラリー・アートの最新動向を紹介し、いまや伝説となった「あなたの頭の中に生きる:態度が形になるとき(作品―概念―過程―状況―情報)」展(クンストハレ・ベルン、1969年)や「ドクメンタⅤ」(1972年)など展覧会の在り方を根本から問い直す画期的な国際展を多く企画した。名品が並んでいてもお互いに無関係で不連続な羅列でしかなかった従来型の展示から、ひとつのテーマのもとに展示全体を有機的に関連づける方式へと展覧会のイノベーションを実行した。ゼーマンの展覧会は生きている。才気にあふれ博覧強記による展覧会そのものが表現行為のようだった。一方で、フランスのアーティスト、ダニエル・ビュランは、出展アーティストを自らの展覧会構想の材料扱いするゼーマンを「キュレーターが権力者となった」と批判した。

 いま展覧会の歴史(とくに20世紀)がささやかだが見直されようとしている。モダニズムの水脈、表現論、作家論などアーティスト中心の言説がもはや頭打ちになってきて、20世紀コンテンポラリーアートを展覧会の歴史によって検証しようという試みである。本書には11名のキュレーターが登場する。1919年生まれのフランツ・マイヤーを最年長に、いずれも当時最先端の美術の普及に尽力した人びとである。彼らはさまざまな場で展覧会を組織した。アムステルダム市立美術館、クンストハレ・ベルン、バーゼル美術館、ハノーファー美術館、パサデナ美術館、ストックホルム近代美術館、メンヘングラートバッハ市立美術館、ファン・アッベ美術館、ハンブルク美術館、ウィーン20世紀美術館、サンパウロ大学現代美術館、フィラデルフィア美術館ほか。私たちには未知の美術館も多いが、彼らの談話にはカタログに掲載されていない貴重な情報があふれ、彼らがどれだけ美術を愛し、アーティストとともにどのようにして展覧会をつくってきたかを伝えている。

 フィラデルフィア美術館元館長のアン・ダノンコート(1943〜2008年)は「私は、キュレーターとはアートと人々をつなぐものだと思っています。(中略)アートの喜び、アートの強さ、アートの破壊力などについて、人々の目を開かせるものだと思っています。(若いキュレーターにアドバイスするとすれば)見て見て見て、さらに見て見て見て、またさらに見て見て見よ、ということです。見ることに代わるものはないですから。アートとは全て、見ることに集約されるのです。それは表面を見ることにとどまりません。より深く見るということであり、つまり見ることで考えることになるのです」と語る。

 インタビュアーのハンス・ウルリッヒ・オブリストは1968年スイス生まれ。ウィーンのミュージアム・イン・プログレス(1993〜2000年)やパリ市近代美術館(2000〜06年)などで研鑽を積み、現在はロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで展覧会プログラム共同ディレクターを務めている。1991年以降「シティーズ・オン・ザ・ムーブ」「リブ/ライブ」「ヌイ・ブランシュ」「第1回ベルリン・ビエンナーレ」「マニフェスタ1」「第3回横浜トリエンナーレ」など世界中で150を超えるキュレーションを行った。20年以上継続しているインタビュー・シリーズはキュレーター、アーティスト、建築家、哲学者、文化人類学者など合わせて300件を超えるという。世界を駆けめぐる現在もっとも多忙なキュレーターである。

 最近、日本でも口述記録(オーラル・ヒストリー)があらためて注目されている。歴史研究においては、いままで文献資料が中心だったが、複数の観点や広範囲な取材を導入できる口述記録に学術的な価値が認められるようになってきた。オブリストは世界中の美術関係者へインタビューして口述記録の広大なアーカイブをつくろうとしている。パリ市近代美術館館長のシュザンヌ・パジェ、「ミュンスター・スカルプチャー・プロジェクト」(10年に1度開催)ディレクターのカスパー・ケーニッヒ、「大地の魔術師たち」展(1989年)のジャン=ユベール・マルタン、「シャンブル・ダミ」展(1986年)のヤン・フート、「ツァイトガイスト(時代精神)」展(1982年)のクリストス・ヨアヒミデスらは、当然オブリストのインタビュー候補にあがるべき人びとなのに今回は収録されていない。近い将来の出版に期待したい。

 オブリストのインタビュー・シリーズで日本で翻訳出版されているものをあげておく。レム・コールハースと手がけた『プロジェクト・ジャパン:メタボリズムは語る』(平凡社)、『アイ・ウェイウェイは語る』(みすず書房)、『コールハースは語る』(筑摩書房)、『ザハ・ハディッドは語る』(筑摩書房)、『ハンス・ウルリッヒ・オブリスト インタビューVolume1(上)』(ジェイ・チュン&キュウ・タケキ・マエダ)ほか。

『キュレーション「現代アート」をつくったキュレーターたち』
四六判(18.6×13cm)/総360頁
定価:2,520円(2,400円+税)/2013年8月26日初版
出版社:フィルムアート社

   
(2014/2/24 update)
     
   
         
 
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