「シュルレアリスム絵画と日本」
速水豊(著)
NHKブックス1135
日本放送出版協会
日本の前衛絵画、事始め
一時期ほどではないにしても、シュルレアリスム(超現実主義、シュールレアリスムともいう)の人気には、根強いものがある。ダリ、キリコ、エルンスト、マグリット・・・といった画家たちが描き出したイメージは、舌をかみそうなその流派の名前に縁があってもなくても、ひろく滲透している。元をただせば、いまから90年ほど前にパリではじまった芸術上の運動のひとつだったことを思えば、その一般化の現象自体がフロイト的、あるいはシュルレアリスム的でおかしいが。注目したいのは、それが初期には、革新的な前衛傾向の美術として、国際的に影響を与えた歴史を持っていたことである。
よく知られているようにアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(1924)によってパリではじまったシュルレアリスムは、文学と美術(おもに詩と絵画)を合わせた運動だったが、その絵画は、出版物などを通して急速に各国へと伝搬していった。日本での初期の受容は、大正のおわりから昭和はじめにかけて、先の画家たちにクレーやピカソも混じっていたパリでの最初のシュルレアリスム絵画展(1925)を留学中だった画家の福沢一郎と美術評論家の森口多里が見たのも、その後に大きな影響をもたらしたという。森口は、絵画展の図録を持ち帰り、帰国後に美術雑誌「アトリエ」で紹介した。1930年になると、同じ「アトリエ」で特集が組まれたり、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスムと絵画』が瀧口修造によって翻訳された。
しかしながら、「日本のシュルレアリスム」といわれて、すぐに思い浮かぶ画家が何人いるだろうか。瀧口修造から澁澤龍彦の周辺へと受け継がれた仏文(フランス文学)と美術批評を軸に、いわゆる幻想絵画などによってかなりポピュラー・カルチャーに転化していった〈シュルレアリスム〉ではあるが、絵画におけるその受容の歴史は、なかなか屈折している。
古賀春江、靉光(あい・みつ)、福沢一郎、東郷青児、三岸好太郎、北脇昇、岡本太郎・・・といった面々が、「シュルレアリスム絵画と日本」を語るには、まずはじめに名前のあがる画家たちである。これらの画家たちに共通するのは、1890年代から1900年代生まれで、若いときに留学したフランスや日本でシュルレアリスムの感化を受けて、おもに1930年代にシュルレアリスム的な作品を描いたということだが、第二次世界大戦前に早世した者と戦後も生きて画風を変化させた者もあり、どちらの場合も、日本の近代絵画に見られる性質として、短期間にさまざまな西欧の影響に反応する一過程であった面もある。つまり、変動する時代の前衛運動だったシュルレアリスムは、「通過儀礼」の夢魔のように若い画家たちに取り憑(つ)いて、戦争というほんものの悪魔と嵐に飲み込まれていく運命をたどった。シュルレアリスム系の若い画家たちがいくつかのグループを作って勢力となりはじめていた1941年、指導的立場にあった瀧口修造と福沢一郎が、治安維持法で逮捕されたのを契機にその動向は終息へと向かった。
先の画家たちのなかで日本のシュルレアリスム絵画を語るうえで、とくに重要なのが、本書でも多く扱われている古賀春江と福沢一郎だろう。古賀春江(1895〜1933)。春江は、女性ではなく男である。一般には知る人ぞ知るプレ・モダンな前衛画家だが、代表作「海」(1929)と「窓外の化粧」(1930)は、わりに紹介されることが多いので、水着やパラソルをさしたモダン・ガールや潜水艦、飛行船、落下傘、近代ビルなどで構成されたその絵に見覚えがある人は意外に多いはずだ。38歳で病没したので、作品数も限られているが、グラフィックな写真やイメージをコラージュ風に構成した先の大作などは、同時代の前衛絵画のなかでは抜群のセンスを見せている。1991年には東京国立近代美術館で回顧展が開かれて、美術史的な評価も高まった。
春江がシュルレアリスムに影響されたことは確かだが、そこに引用されたマシーン・エイジのイメージやフォト・コラージュは、バウハウスや構成主義のそれにより近い。むしろ、フォト・コラージュの手法を大胆にタブローに採用したところに、春江とほかのシュルレアリスム風な画家たちを分ける特徴がみられる。
「海」に描かれた飛行船は、1929年にドイツから世界一周の途上、わが国に飛来して大ニュースとなったツェッペリン号である。飛行船の到着が同年の8月、「海」は、その秋の二科展に出品された。当時のメディアは、飛行船のニュースで持ちきりだった。兵庫県立美術館の学芸員である筆者は、数多い当時の新聞、雑誌の写真から、画家がそのイメージをコラージュしたと思われる『科学画報』のカットを見つけ出している。潜水艦や化学工場も同誌から、空を指さす水着女性は、西洋美人スタイル集という絵はがきセットの一葉からとられているのが、近年の研究で明らかになった。ほかの作品のモチーフについても、本家のシュルレアリスム絵画やバウハウスなどの作品比較といった美術史にとどまらず、当時の一般誌などについて考証を行って、幅広い視点から作品が読み解かれている。
もうひとりの福沢一郎(1898〜1992)についても、イメージのコラージュというシュルレアリスム絵画の特徴によるナゾ解きは、大いに有効である。東大文学部に学んでフランスへ留学した福沢の場合は、そのネタ元さがしも国際的である。科学や医学雑誌が多いのは、大衆科学をもって旧来の美学破壊の素にした20世紀前半のアヴァンギャルドであるシュルレアリスムの時代性が表れている。古賀春江が二科展(二科会)で、福沢一郎が独立展(独立美術協会)の創生期の旗頭だったという歴史も、興味深い。
どちらも後年には、代表的な洋画(・彫刻)の団体展となったわけだが、大衆路線で成功した二科展も、ある時期には文展(後の日展)を中心とする官製の展覧会組織に対抗する前衛の拠点として、若きパリ帰りの岡本太郎も出品した歴史をもつ。前衛派を排除して二科のドンになり、メルヘンな美人画の売り絵で一世を風靡(ふうび)したあの東郷青児も、若いころは、古賀春江たちとともにシュルレアリスム風の佳作を並べた同志だった。一方の独立展は、日本のフォーヴィスム(野獣派)を牽引したイメージがつよいが、初期には、里見勝蔵、佐伯祐三、児島善三郎、林武といったフォーヴィスム派に対して、第1回展(1931)に滞欧作を発表して衝撃をあたえた福沢一郎を中心とするシュルレアリスム派(三岸好太郎、小牧源太郎、飯田操朗など)が対抗していた。その後の洋画史に大きな影響をもたらした彼らが信奉した「シュルレアリスム」や「フォーヴィスム」がどんな性格のものであったかも含めて、本書は、より客観的にわが前衛美術史と画壇史の迷宮への入り口を開いている。
B6判・318頁/¥1,323(税込)/発行:日本放送出版協会 |