「肖像のエニグマ」
岡田温司(著)
岩波書店
〈イメージ〉の謎(エニグマ)をめぐって
インターネットに対応して、デジタル化され即時に拡散しながら細分化され消費される情報の波(ウェッブ)のなかを漂う私たちは、フェルメールの傑作からマドンナや通り魔の画像まで、ますます〈イメージ〉に覆われた時代を生きている。
ベンヤミンをはじめとして、ロラン・バルトや先年亡くなったボードリヤールなどによる先駆的なメディア論は、一般にも言及されることが増える傾向にあるが、著者も言うように専門的な美学や美術史の分野でも、近年は再びイメージについて論じる研究者が目立っているという。
この本には、イタリア・ルネサンス美術研究の第一線に立つ著者が、〈イメージ〉のもとの意味である「肖像(イマーゴ)」ー肖像画や、モランディ、カラヴァジオの作品、美学や西洋美術史、マニエリスムとヴァザーリにおけるイメージ論とその批判の歴史を通じて、〈イメージ〉の正体を追った論攷が集められている。
入口には、有名なフロイトによるレオナルド論ー「モナリザ」の微笑の謎や「聖母アンナと聖母子」の2人の聖母には、実母と継母に引き裂かれたダ・ヴィンチの孤独な幼年時代のトラウマが投影されているーがある。ここで肖像画は、神話やイコンのイメージや近世以降それに代わった個人の似姿といった、とおり一遍の解釈から解かれる。それはモデルの姿かたちを写すだけでなく、「画家のこころを写し出す」とともに「モデルのこころを写し出す」ー。
肖像の場合には、そこにさらに「見る者のこころを写し出す」という、精神分析でいうところの「投影」の心理的メカニズムが加わる。ダ・ヴィンチがこうした点にも周到に意識的であったことが、「白豹(はくひょう)を抱く貴婦人」(ポーランド、チャルトルスキ美術館蔵)のその肩越しに振り向いた構図の分析によって例証されている。
著者は、またモランディの伝記(『モランディとその時代』人文書院 2003)やその親友だった美術史家ロベルト・ロンギの著書の翻訳でも知られるが、モランディがファシズムの時代を通じて、「ボローニャの隠者」として執拗に描きつづけた壜(びん)のモチーフについて、静物でありながら「無機的なものの肖像画」を感じるという点に共感する。
「肖像の脱構築」の章では、著者が共訳したジャン=リュック・ナンシーの「肖像の眼差し」(人文書院 2004)によせて、ルネサンスの肖像画の内に古代異教的なアニミスムと供儀の存続を見たヴァーブルク学派の創始者アビ・ヴァーブルクやレンブラントの「夜警」などオランダの集団肖像画に、絵画と「鑑賞者(共同体の一員である)に対する関係性」を読み込んだアロイス・リーグルの研究などがたどられる。
アカデミックな美術の研究史ばかりでなく、フーコーやラカン、デリダ、アガンべン(著者はその翻訳者でもある)にわたる現代思想の文脈もおさえながら、ゴンブリッチが「近代人にとっては、もはやいかなる肖像も残されてはいない」(『肖像画について』1945)と嘆いた後も、整形手術によって自身の身体的なアイデンテイティを脱構築するオルランをはじめ、フランシス・ベーコン、アンディ・ウォーホール、シンディー・シャーマン、ボルタンスキー、マルレーン(マルレーネ)・デュマスなど、現代美術におけるラディカルな「肖像」の探求者たちもリスト・アップされている。
この本の最後の方にある「肖像のパラドクス」の章では、本書の表紙を飾るパスカルのそれに代表される「デスマスク」についても、カラヴァジオが執拗にヨハネやメデューサの首に自分を重ねて描いたことなどとともに書かれている。
キリストの「真のイコン(ヴェラ・イコン)」といわれる「ヴェロニカの聖骸布」をひとつの起源とするデスマスクは、17世紀フランスのポール・ロワイヤルでも好んで制作されたという。「パンセ」とともにそこに端正な夭折のマスクを残したパスカルは、記している。ー「肖像には、不在と現前、快感と不快さとが共存している」。
四六判/318頁/¥3,885(税込)/発行:岩波書店 |